最高裁判所第一小法廷 昭和45年(オ)1172号 判決 1973年6月14日
東京都豊島区西池袋四丁目一八番七号
上告人
堀節治
右訴訟代理人弁護士
藤川成郎
被上告人
国
右代表者
法務大臣 田中伊三次
右当事者間の東京高等裁判所昭和四四年(ネ)第七五二号、同第八二一号不当利得返還請求事件について、同裁判所が昭和四五年八月三一日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人藤川成郎の上告理由第一点について。
原審が、本件においては所論の前提とする貸倒れの発生そのものを認めることができないとして、所論不当利得の主張を排斥していることは明らかであつて、貸倒れと不当利得の成否との関係について原判決が一般的に説示するところは、予備的判断を述べたものにすぎない。したがつて、右一般的説示の誤りをいう論旨は、主文に影響を及ぼさない原判決の傍論を非難するものにすぎず、採用することができない。
同第二点について。
上告人が、本件和解成立の当日、大沢金備から八三〇万円を受領した旨の原審の事実認定は、原判決挙示の証拠に照らして肯認するに足り、また、弁済の充当に関する民法の規定に徴すれば、右八三〇万円の受領により、上告人は本件貸倒れ所得に該当する利息損害金債権を十分回収しえたものであるとする原審の判断も、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することはできない。
同第三点について。
所論の点に関する原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解を主張して原判決を攻撃するものであつて、採用のかぎりでない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大隅健一郎 裁判官 藤林益三 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 岸上康夫)
(昭和四五年(オ)第一一七二号 上告人 堀節治)
上告人代理人藤川成郎の上告理由
第一点 原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな所得税法(昭和三七年法律第四四号による改正前の昭和二二年法律第二七号、以下旧所得税法と呼ぶ)第一〇条及び民法第七〇三条の解釈適用を誤つた違法がある。
原判決は「本件のような非営業貸金にかかる利息損害金債権について課税処分がなされ、その課税年度経過後にいわゆる貸倒れが発生した場合であつて、しかも税法上この場合の救済制度が設けられていなかつたものとしても、当該課税処分が権限ある行政庁ないし裁判所によつて取り消されない限り、当該課税処分にもとづいて徴収された税金は、法律上の原因のない利得であつて不当利得を構成するものとはいえない」と判示したがこれは前記法条の解釈を誤つたものである。
(一) 昭和二八年当時行われていた旧所得税法第一〇条第一項は「収入金額は……収入すべき金額」によると規定し、「収入した金額」なる表現をとつていないところから所得の算定方法につきいわゆる発生主義(ないし権利確定主義)をとつていたといえる。課税上の所得算定方法としての発生主義は現実収入の原因たる権利の発生の時期と現実収入の時期との間に時間的ずれのある場合に課税上現実収入の時点の属する年度の所得としてではなく権利発生の時点の属する年度の所得として算定すべきものとする方式であつて所得を年度毎に捕捉する一つの便宜的、技術的方法であるが、債権についていえば現実の収入が行われる以前の時点において現実の収入があつたと同様に課税するという方法であるから、後に債権者の責に帰すべからざる事由により現実の収入が不可能となつた場合には結局において所得なくして課税したという不公正な結果をもたらす危険、弊害を多分に内包する方式である。したがつて所得算定上の発生主義はこの主義をとることによつて必然的に生ずる右の弊害を除去するための適切な調整方法とあいまつて初めて公正、合理的な方式として是認しうるものである(もつとも右のごとき危険、弊害は発生主義に対立するいわゆる現金主義すなわち課税年度における現実の収入をもつて所得とする方式においてもその発生を完全に防止しえないものである。しかしながら発生主義にあつては各種各様の債権が発生ないし確定の時点の属する年の収入とされるのであるから債権の取立不能(貸倒れ)が大量に不可避的に発生する社会の現実においては現金主義に対比して発生主義は上述の弊害を本質的に異る程度に内包する方式ということができるのである。かかる意味において発生した権利に基づく現実の収入が課税年度後において不能となつた場合に不公平を生ずることは発生主義の特長的短所といえるのである)。
かくのごとく旧所得税法第一〇条が採用する発生主義は収入の帰属年度を定めた技術的方式であつて、債権そのものに財産的価値を認めて課税する建前を意味するものではない。将来の他人の金銭的給付を請求しうることを内容とする債権一般につき券面額のまま課税するとすれば債権不回収の可能性を無視した極端に不合理なものとなる。同条が「収入すべき金額」というのは収入されることを予定し、前提として課税する立場に立つていると解すべきである(第一審判決理由八枚目表一一行より九枚目表五行目まで参照)。
(二) 民法第七〇三条の不当利得制度は直接にはドイツ民法の思想を継受したもので、更に遡れば自然法学説にその源を求めることができるのであり、同時にイギリスにおける普通法の欠陥あるいは厳格性を補充矯正するために生れた法である衡平法とその理念たる「公平」を共通にする制度である。すなわち因果関係ある利得と損失がある場合法律の理想である公平の観念に照らして受益者がその利得を保有する実質的の理由がないと認められるときはその利得を損失者に返戻せしめるという制度である。これは一面において法律の形式的適用において生ずる当事者間の利得の変動を公平の理念に基いて調整しようとする制度ということができる(我妻栄、有泉亨著「債権法」五〇四頁)。
かかる不当利得制度の基本精神から民法第七〇三条にかかげる「法律上ノ原因ナクシテ」とは財産的価値の移動をその当事者間において正当なものとするだけの公平の理念から見た実質的、相対的な理由がないという意味と解すべきことが演釈される(我妻、有泉前掲書五〇五頁参照)、従つて利得が法律の規定に基き、あるいは適法な法律行為に基いて生じたものであつてもその利得の保有が公平の理念に照らして是認しえない場合には不当利得として返還を要請されるのである。例えば一定の目的の存在を予定した出損がなされたが後日その目的が欠けた場合には利得の返還が公平の理念により要請される(法律上の理由が後に至つて消滅した場合及び給付の目的とした結果が発生しなかつた場合につきドイツ民法第八一二条は明定している)。
(三) 本件の「貸倒れ所得」は二個の非営業貸金に基づき昭和二八年中に支払を受くべき利息損害金の請求権であつて、旧所得税法第九条第一項第一〇号及び同法第一〇条第一項の規定による雑所得として昭和三一年一一月二〇日の更生処分により課税されたものである。しかるに右利息損害金請求権は発生当初より上告人の努力にかかわらず回収ができず、ついに昭和三六年七月一九日取立不能なることが確定した。その結果として旧所得税法第一〇条第一項の採用する発生主義に基き課税された右雑所得は収入されないものであつたことが確定したので、右雑所得にかかる所得税は所得なくして課税されたこととなつたのである。しかして昭和三六年七月当時行われていた旧所得税法には雑所得として課税される非営業貸金の利息損害金(貸付元本返還請求権はそもそも雑所得にならない)につき課税年度後に貸倒れ等の回収不能が生じた場合に発生する所得なくして課税したという不公正を是正するための事後的調整規定が全く存在しなかつた。その後昭和三七年法律第四四号による所得税法(昭和二二年法律第二七号)の改正によりかかる場合に「所得の計算の基礎となる収入金額の全部又は一部を回収することができないこととなつた場合には……その回収することができないこととなつた部分の金額に対応する所得の金額は、当該所得の生じた年分のこれらの所得の計算上、なかつたものとみなす」とされ(改正後の法第一〇条の六第一項)、この場合貸倒れを生じた日後一箇月間をかぎり更正の請求をすることができることとなつた(改正後の法第二七条第六項)がこの改正規定は昭和三七年一月一日以後に貸倒れが生じた場合に適用されることとされたにとどまる(昭和三七年法律第四四号附則第七条)。
このように本件のごとく昭和三六年中に回収不能が発生した場合には旧所得税法自体にはこれに基づく更正の請求等の方法による事後的調整の明文規定が存在せず、所得税法の体系内において所得なくして課税されるという不公正を除去する手段が備わつていなかつたのであるから、かかる場合には民法第七〇三条を適用し、所得なくして課税し、徴収した国の利得の保持を否定し被課税者に返還せしむべきものである。
以上述べきたつたように旧所得税法の採用する発生主義という技術的法規の形式的適用による徴収利得が債権の貸倒れにより実質的に不当と認められる本事案の場合は公平の理念を根幹とする民法第七〇三条が適用されるべき典型的事例ということができる。
(四) 原判決は本件につき不当利得を認めない理由を四つ掲げているがその失当なることを次に明らかにする。
(イ) 原判決は、旧所得税法において、非営業貸金(利息損害金を含む)の貸倒れによる損失は家事上の出費、あるいは家事関連費に伴う損失に包含さるべきものであつて所得計算上これを資産損失とする必要を認めなかつたものと考えられると述べるが、非営業貸金の貸倒れがすべて家事上の経費ないし家事関連費(旧所得税法第一〇条第二項但書)であるといえないことは明らかであり、所得計算上これを資産損失とする必要が認められなかつたというのは貸倒れによる損失を別個の雑所得(例えば別口の非営業貸金に基づく利息収入)の計算上必要経費と認めて控除することが相当でないという意味において是認しうる議論である。収入の原因たる取引が多数反覆して行われる事業に係る所得(事業所得)の計算においては貸倒れを損失として貸倒れ発生年度の事業収入(貸倒れ債権とは全く別個の取引に基づく収入である)より控除する方式(いわゆる費用収益の総体対応の考え方)がとられるのに対し、一回的に生起する雑所得(譲渡所得等もこれと同様である)はその発生原因が別個独立のものと観念され、一個の債権の貸倒れ損失を他の雑所得に該る収入から必要経費として控除しないこととしている(いわゆる費用収益の別個対応の考え方)のである。そのために非営業貸金の利息が貸倒れとなつた場合収入しえなかつたものにつき課税するという「著しく不合理な結果を生ずる」(原判決一六枚目表末行)こととなるのである。
(ロ) 原判決は発生主義をとる以上課税処分は課税年度後に貸倒れが生じてもかしを帯びつつも存続しているという。しかし課税処分の存在がこれに基づく徴税利得を不当利得と判断する妨げにはならないこと前述の不当利得制度の性格論で明らかにしたとおりである。この点は本件と同一事案を扱つた東京高等裁判所昭和四一年(ネ)第一七三五号事件(被上告人の上告により最高裁判所昭和四三年(オ)第三一四号として係属中)の判決があますところなく論証しているとおりである(甲第一〇号証参照)。
(ハ) 原判決は債権は発生時点において財産的価値を有するものと認められ、その時点で所得が実現したものとして課税するものも形式性、画一性、技術性等を重複する税法のもとでは相応の合理性があると説く。しかし旧所得税法の発生主義は金銭債権一般につき券面額の財産価値ありと終局的に断定する主義ではなく、将来弁済されることを前提として課税するという形式的合理性を有する方式に過ぎない。かかる形式的合理性が雑所得に該る債権が後に貸倒れとなつた場合に所得なくして課税するという実質的不合理をもたらすのでその調整を要するのである。
(ニ) 原判決は雑所得の貸倒れが生じた場合遡及的、個別的に課税調整を認めるときは事業所得についても同様の救済を認めねばならなくなり、かくして所得税法全体の体系を崩す虞れを生ずるという。しかしかかる課税調整は昭和三七年法律第四四号による所得税法に採用されたもの、所得税法体系中に組入れられたものであり、右改正によつて所得税法体系は整備改善されたものと評すべく、混乱を来したものとは考えられない。事業所得については貸倒れ損失を必要経費として貸倒れ発生年度の事業所得計算上収入より控除することが従来認められてきたのであるから事業所得については個別的調整の必要はない(もつとも廃業により貸倒れ発生年度に事業所得に該る収入がない場合には必要が生ずるが、昭和三七年法律第四四号によりこの場合の事後的調整も明文化されたのである。なお現行所得税法第六三条参照)。事業所得と異り偶発的な個々独立の原因に基いて生ずる雑所得については個別的調整を行う外なく、旧所得税法が貸倒れの場合にかかる調整規定をもつていなかつたのは積極的に調整の必要を否定する趣旨ではなく、単に配慮を欠いたもの、法の不備と解すべきである。従つて後の改正により調整の道が備わる以前の事案につき民法の不当利得制度をもつて調整をはかることは当然であり、所得税法の基本原理にも合致するところである。
第二点 原判決は事実認定において経験則違反、理由不備の違法を犯している。
本件のいわゆる「貸倒れ所得」(上告人が大沢金備、大沢園子、鈴木利久の三名を連帯債務者として(イ)昭和二七年一二月一九日貸付けた三〇万円に対する昭和二八年中の利息損害金五四七五〇〇円と(ロ)昭和二八年三月二五日貸付けた一五五八九五〇円に対する昭和二八年中の利息損害金七四四七一〇円の合計金一二九二二一〇円)に関し、原判決は昭和三六年七月一九日に裁判上の和解が成立するまでに上告人が前記(イ)(ロ)の貸付元金のみならず利息損害金の弁済を受けていなかつたことを認めながら、昭和三六年七月一九日に東京地方裁判所昭和三四年(ワ)第二八七号事件の原告代理人弁護士尾形慶次郎、上告人及びその代理人弁護士松本乃武雄、利害関係代理人弁護士稲垣規一、大沢金備、張圭七らが東京地方裁判所において話合つた結果上告人が前記二口の貸付金と別口の貸主大木みよ名義の昭和二八年七月二九日貸付金二五〇万円(利息日歩二〇銭)の合計四三五八九〇円およびこれら貸付金に対する利息損害金の弁済として八三〇万円を受領することを約定し、同日張圭七から現金および銀行小切手で八三〇万円を受領したとの事実を認定し、右認定に基き上告人としては「本件貸倒れ所得に該当する前記合計一二九万二二一〇円の利息損害金の全部または一部を回収したか、または客観的にみて十分に回収可能であつたものと認めるのが相当である」と判示して貸倒れの発生を否定した。
右(イ)(ロ)の貸付金債権の担保物件の共有者五名を原告、上告人を被告とする該担保権設定無効訴訟において昭和三六年七月一九日に成立した裁判上の和解(甲第一二号証)は(1)鈴木利八の共同相続人たる原告五名は前記(イ)(ロ)の貸付金元本債務並に各担保権を認める、(2)上告人は右貸付金の利息損害金をすべて抛棄する、(3)上告人は右担保権付貸付金元本債権を参加入榊原正枝に債権額と同額の代金一八五九五〇円をもつて譲渡する、(4)譲渡債権が国税局に差押られているので参加人が右譲渡代金と同額の滞納税金を上告人のために国税局に支払うことにより右譲渡代金の支払をなすことを骨子とするものである。原判決は右裁判上の和解成立の日に上告人が裏で八三〇万円(現金と銀行小切手からなる)を受取つたというのである。上告人本人及び前記東京地方裁判所訴訟における上告人の訴訟代理人にして大木みよと小島重吉との訴訟における大木の訴訟代理人でもあつた弁護士松本乃武雄(昭和四四年一一月一日物故)は右八三〇万円の授受を強く否定しているにも拘らず原判決は実質上証人張圭七の供述及び大沢金備、細見八重治の供述録取書(乙第一四、一五、二〇号証甲第一三、一四号証)だけに依拠して八三〇万円の授受を認定した。右和解調書が成立にいたる経緯およびその記載内容からみて真実のものと認められるにもかかわらず原判決は三人の者の金を払つたという供述のみによつて大金の受領を断定したものでその非常識、上告人に対する偏見に対し慣りさえ感ずる。
およそ八三〇万円という大金(適法な取引の金である)の授受が、しかも弁護士の関与のもとでなされる場合領収書が作成されないことは考えられない。上告人は金員受領を否定しているが、受取らなかつたということについては書証を提出できないこと当然である。金円支払の事実は物的証拠によつて証明されなければならない。小切手等の証券による支払であれば証券を追跡して確たる事実が究明しうるのである。原判決がこの経験則を無視したものなることを以下に述べる。
(一) 甲第一二号証の和解調書は他債権者小島重吉、債務者兼担保物件所有者等のあいつぐ訴訟提起による抗争を経て貸付後約八年後に成立したものである。上告人が大沢金備に担保貸付をなしたのは昭和二七年一一月の一一〇万円が最初であり、その担保として大沢金備兼園子所有名義の神田鍛治町所在不動産に抵当権、代物弁済仮登記を受け、更に代物弁済による所有権移転登記を受けたところ不動産の前所有者から所有権移転の無効を理由として登記抹消を訴求され(東京地方裁判所昭和二八年(ワ)第九六六号事件で上告人全部敗訴、最高裁判所昭和三三年(オ)第四四四号の昭和三五年一月二一日判決により確定した)、このため代物弁済を否定されると予想した上告人は大沢金備、大沢園子に鈴木利八を連帯債務者を加えて、前記(イ)(ロ)の貸付をなしたが、(ロ)の貸付金には前記神田鍛治町所在物件を担保とする一一〇万円の貸付金が含まれている。かくして(イ)(ロ)の貸付金の担保として鈴木利八所有の神田司町所在の不動産と大沢園子所有の神田旭町所在の不動産に低当権の設定を受けたが、神田旭町所在物件については大沢園子の債権者と称する小島重吉より競売停止の仮処分を受け、仮処分異議訴訟において上告人の抵当権設定は大沢金備の無権代理行為であるがその妻大沢園子の追認により有効となつたものの詐害行為として取消さるべきものであるとの理由で上告人敗訴となり、神田司町所在物件(乙第一六号証)については鈴木利八(同人死亡後共同相続人五名が原告となる)から抵当権無効(大沢金備の無権代理)を理由とする訴訟を起され、共同相続人中にはアメリカ在住の者もいて無権代理追認の立証が更に困難な状勢にあり、判決で抵当権を否定される公算が大きいと考えられた。かくのごとく上告人の貸付金の担保権は主要人物たる大沢金備の言動により裁判上否定される可能性きわめて大で、貸付元本の回収をえて、利息損害金を放棄する解決も無理からぬものであつたのである。
(二) かかる不利な見通しのもとで東京地方裁判所昭和三四年(ワ)第二八七号事件において長期間和解交渉が続けられ、その間債務者大沢金備側では担保物件を売却して和解による支払金を捻出する方針をたてたことが後日判明したがかかる相手方の事情を上告人側が適確に把握できなかつたことも無理からぬことである。
(三) しかも当時(イ)(ロ)の貸付金債権は国税局が上告人に対する滞納処分により差押えていたので抵当権付債権の譲渡も国税局の態度如何によつては実行不能となることが予想されたので、上告人は原告に国税局の意向を打診させたこともある。
(四) かかる過程を経て第一七回口頭弁論においてやつと成立をみた和解調書の内容は訴訟上弱い立場にあつた上告人の最大の回収努力の結果を示すものとしてすなおにその内容を理解できるものである。右和解に定めたとおりの参加人榊原正枝は債権譲渡受代金と同額の金員を国税局に上告人の滞納税金として納付している。右納付があつたことは被上告人自身別件訴訟で主張しているところである(甲第七号証、甲第一八号証)。原判決は右一八五八九五〇円第三者納付の事実にふれようとしないが、これは八三〇万円授受を否定する情況証拠として上告人が力説した点であり、この点に言及しない原判決は理由不備である。
(五) 成立に至る経過、その記載内容およびその現実に実行された状況にてらし和解調書の内容が真実のものと推定されるにかかわらず、原判決は和解後六ないし八年後になされた三人の男の言葉だけを根拠にして八三〇万円の授受を認定し、和解調書上一八五八九五〇円と記載したのは上告人が「対税策を考慮して」虚偽の記載をするよう要求した結果であるという。
八三〇万円という多額の債務金の弁済につき一方が金員受取を否定している場合支払つたと主張する者の供述を真実なりと認めるには物的証拠(領収書等)を必要とする。本件においてはかかる物的証拠は皆無である。しかも金員を出損したと称する証人張圭七はその一部を東海銀行上野支店振出の小切手で支払つたというのであるから、昭和三六年七月一九日前後に右銀行が張圭七に小切手を振出したか否か、振出されたとすれば何人の手を経て決済されたかを調査すれば張圭七の供述の真否を確めることができるはずである。かかる調査は張圭七の供述の真否を確めることができるはずである。かかる調査は張圭七あるいは国税調査権を背景に強大な調査能力を有する被上告人にとつては容易になしうるところである。本件において被上告人が乙第一八号、一九号証のごとき関連性のうすい証拠のみ提出し、肝心なるかかる物的証拠を提出しないことこそ事実認定の資料とすべきである。
(六) 更に八三〇万円授受の約定は尾形慶次郎、稲垣規一両弁護士立合のもとでなされたとすれば、両弁護士が知つているはずである。特に和解調書記載金額の四倍以上の金員の支払をしたとすれば債権譲受人榊原正枝の代理人である稲垣弁護士がはつきり記憶しているはずである。これら責任ある弁護士の供述を聴取することもなく当日裁判所に来たことすらさだかでない人物の供述だけを信ずるというのは自由心証に名をかりた恣意による認定である。
(七) 確定裁判と同一の効力を認められる和解調書の内容に反する大沢、細見、張の供述は矛盾、明らかな虚偽を含むもので物的補強証拠なき限り普通の論理の持主には到底措信しえないものである。例えば神田司町所在物件を買つた張圭七が同物件に担保権をもたない大木みよの貸付金の支払を何故に承諾するであろうか。誠に不自然である。被上告人自身もまた昭和四四年一一月二四日付準備書面において「和解期日に張圭七が土地代金八五〇万円を大沢金備に手渡し、そのうちから上告人に八三〇万円が支払われた」と見当はずれの主張をしていたのである。これに対し上告人が消極的事実の物的証拠を提出しえないのは物の道理である。口先だけの供述をもつて八三〇万円授受の認定をした原判決は経験則に反したか、国を相手とする訴訟においては国の主張に反することについてすべて私人に立証責任を負わした違法あるものという外はない。
(八) 経験則を無視し、国との訴訟における納税者をはじめから悪者扱いする原判決は八三〇万円受領を認定した上「このような事情のもとにおいては……本件貸倒れ所得一二九二二一〇円の全部または一部を回収したが、または客観的にみて十分に回収可能であつたものと認めるのが相当である」と説くが、原判決認定の三口の貸付金元本四三五八九五〇円(利息日歩五〇銭、一七銭、二〇銭)の利息損害金は日歩二〇銭、八年間として計算すれば二五〇〇万円をこえるのであるから、元利合計約三千万円の中の八三〇万円を受領したという場合に貸倒れ所得が客観的にみて十分回収しえたものであるという論理は全く成立しない。この点においても原判決は理由不備の違法により短棄さるべきである。
第三点 原判決は旧所得税法による所得税についての更正処分(甲第四号証)に認めうべからざる確定力を附与して本件にいわゆる「誤認所得」にかかる不当利得返還請求を排斥した違法がある。
本件更正処分は雑所得二四五八一〇〇円の存在、医療費一一九七二〇円の否認の結果所得税額を一二八七三八〇円とするもので右雑所得が具体的に処分中に示されていないものである。従つて処分に対する税法上の不服申立による取消が不可能となつても更正された税額の徴収が適法とされる効力を獲得するに止り、雑所得の内容が不可争のものとなる効力をえることはありえない。しかも右更正の取消を求める上告人の訴は却下されたのであつて、裁判所において雑所得の内容が審査の対象とされていないのであるからなおさらである。このように雑所得の内容が処分中に表示されておらず、裁判所の認定を経ていない場合内容たる具体的収入の存在が終局的に確定するいわれがないのであつて、かかる収入の存在は訴訟上争いの対象とすることができるのである。従つて本件では事実審理に立入つて不当利得の成否を判断すべきでものである。